講習師 一条 ~風俗の歩み(クソ真面目にリアルガチな経験したんよ)

 

「おかえりなさい」


ホストでは枝(えだと言って、誰かのホストの指名客が連れ連れてくる指名のホストがいないフリーのお客様のことね)は攻めるけど、裏に回る掟は破らない。
(裏に回るとは・・・指名のホストがいるのにも関わらず、そのお客様、女性を口説く行為のこと)



金種のババアとは寝ない。
(ホストのお客様の中には、様々な役割を持つお客様がおられます。
金種・・・お金を沢山使ったくれる、お財布の様な大切なお客様のこと)
一条は、自分の春(男だから秋かな?w)を売り物として提供したことがありません。

今どきの言葉で言うと援交とか、売春行為(秋売り行為ですかね?)とでも言うのでしょうか・・・

 

言いたいことは、お金を沢山使ってもらっていたり、沢山の物を買ってもらっていたり、お店で思いっきりお金を使ってくれていたり、ゴルフに行くと言えばポケットにそっと現金を忍ばせてくれたり・・・などなど・・・とってもお世話になって入るけれど、だからと言って一線を超える、自分の身を差し出すことが出来なかった。

一歩手前までは・・・実を言うとありましたが・・・ダメでした。
敵前逃亡をしてしまいした。
ある意味意気地なし、良い様に言えばお金には屈しなかった・・・
(屈しておけば、人生がどうなっていたのだろうか・・・?気にはなる)

 

風俗という業界の仕事では、店の女と金(売上)には手を付けない

このことが暗黙のルールとか、ゴールデンルールと言われてます。
一条は、クソ真面目にその暗黙のルールを、ずっと遵守しながらやってきました。

ホスト歴は12年間です。ちなみに、お酒は・・・肝臓にアルコールを消化する酵素が無いということで、全くの下戸(お酒が受け付けません。呑むと倒れます)

入店当初は大変でしたが、12年間を過ごせてのだから、お酒は呑めなくてもホストは出来ます。特に講習師として3.000 人以上教えましたが、ただの1回も挿入行為はありません。
客にルールを守れと言っていて、女の子から後ろ指を指されるのは恥ですよね。

 

一条が風俗に入るきっかけになった彼女の講習を受ける時に送り迎えをしました・・・
講習を何事もなく無事に受けて戻ってきた(当たり前のことですが)愛する女の側に居ましたから・・・一度も破ったことのない自分の鉄板ルールです。

 

一条が風俗に入った経緯から、何処でどの様な風俗店に関わってきたのか?
一条は本当にそれ相当の経験をしてきたのか?講習師と名乗る資格があるのか? 何処の馬の骨なのか?
初めてお目にかかる方の為に、少し明らかにしていきたいと思います。


訳あって、「一条」はホスト時代の源氏名です。
あの頃にいたあの店の店長だと・・・あ!ひょっとするとあの人?なんて思い当たる節の方が居られるかも分かりません。
(そう思われた方。そう、あの人で正解だと思います)

 

それでは、ストレートな実名を出すのは少しばかり気が引けたりもしますので、店の名前は伏せさせていただきます。

風俗業界に身を置くことになったきっかけは、大阪十三にあった5〜6部屋のファッションヘルスに、当時の彼女と一緒に面接を受けに行ったことでした。

十三商店街のなかにある喫茶店で、店の主任という方が面接をしてくれました。一条は、風俗の女の子面接を、彼女の隣で一緒に受けた経験をもっています。

風俗店の男子スタッフ面接を受けたことのある方は数多くいると思いますが、女の子のシステムを聞くという面接を彼女と一緒に受けたという男性はまずい無いでしょう。

一条が女の子を面接する場合、彼氏や旦那様が同席でもいつもと変わらず面接をします。ただしその場合は、女性よりも同席の男性に必ず納得をしてもらえるように熱を込めて話してしまいますけど…ね。


一条の当時の彼女が面接の後、講習の当日には車には彼女を乗せて店まで送って行きました。講習終了後、彼女から電話が入り・・・

「パパ、終わったよ…」

連絡を受けて車で迎えに行きました。


帰りの車の中では・・・彼女に掛ける言葉も少なく・・・
「どやった?」そう聞くのが精一杯でした。

 

愛する彼女を、自分の借金が原因で風俗に勤めさせてしまうという罪悪感と、挿入こそないにしても…身体中を舐め回されたり、絡んだりするのだと思うと、心臓を鷲掴みにされるくらい胸が傷んだ経験をしました。
(これは本当に辛い…)

どんな店舗経験なのかの紹介でしたね・・・

京都では、男子スタッフ面接を受けました。前職がホストで年齢が37才になっていたこともあり、担当した面接官のF氏は、甲高い声で、「う〜ん、37才ね〜…」と考え込んでいました。

 

そこで間髪入れずに自分から「嫌だったら断ってくださいね」と。
F氏:「いやいや、そういう訳ではないです。」
(どんな訳やねん?とは言いませんでしたが…)


「何時から来ることが出来ますか?」そう聞かれたので、何故か「3日後からなら」と答えていました。

そして、京都の店に風俗店の男子スタッフとしてデビューしました。
それから3ヶ月後には主任となり、

ある日突然に F氏から・・・

「一条君。この娘に仕事教えてあげて」
と、初めて女の子の実技指導を任されました。

 

19才の初々しい女の子で、風俗未経験。源氏名は、「あおいちゃん」

心臓がバクバクしながら、シャワールームでのお客様の洗い方から、全身リップ・69・口内発射まで、無我夢中で、頭真っ白になって教えた記憶があります。

大阪に勤めていた彼女は、京都では3店舗目になる新規オープンの店に移籍をしてきて、あれよあれよという間に、NO.1になっていく姿を横目で見ておりました。

 

京都には大阪から通勤しておりましたが、その頃、阪神淡路大震災を経験しました。その翌年、神戸に新規店を立ち上げるということで、Y本部長を責任者として、自分は店長として神戸に乗り込みます。

 

神戸に性感マッサージ店の立ち上げ、更に2店舗目も立ち上げました。立ち上げが落ち着いた後は、3店舗目の店長をやりました。
神戸に来る少し前の事、彼女に大学生の彼氏が出来たことが発覚し、彼女は風俗と私の元を静かに去って行きました。

 

神戸での店舗立ち上げの1週間前にから、1日3人の講習が当たり前で、Y部長と二人、それこそパンツを履く暇も無い忙しさでした。

 

その頃、前立腺マッサージの教えすぎと過労、彼女と別れたストレス等から、痔瘻(ぢろう)という病気にかかり、患部から肛門にかけてオペで輪ゴムのお父さん位の太さの板ゴムを装着されました。

 

手術は、住まいから店舗までの丁度中間位にあるM肛門科で行い、入院は出来ないので、通院治療の為に自転車で1分の距離を歩いて30分ほどかけて、痛いお尻を引きずりながら帰った経験があります。

 

肛門に入れたゴムが縮むのを利用して徐々に患部が表面に近くなったところで、再度手術をするということだったのだけど、お尻にゴムが入ったまま、横浜に新店舗を立ち上げるということで、横浜転勤を告げられます。

 

横浜で立ち上げ店舗は、マット系ヘルスとなります。講習の際、「お尻にゴムが入っているけどゴメンね」なんて情けない事を言いながら、実技指導をしていた。

横浜転勤から半年ほどして京都のF氏から連絡があり、
「売上が上がらんから京都に帰ってこい。戻ったらマネージャーに降格や!」
そう言われれても納得がいかずY部長に、延々と相談にのってもらった結果、辞職すること決めて退職しました。その後、全国屈指の風俗グループの横浜店の責任者となりました。


その後の経歴は・・・
◯ヘル同好会でボーイスタート。
(5店舗目)5部屋の巨乳専門店立ち上げ 店長(6店舗目)
言葉責め専門店 店長(7店舗目)
痴漢コスプレ店 店長(8店舗目)
人妻ヘルス 店長(9店舗目)
東京へ異動
ジャングルヘルス 社長(10店舗目)→閉店
人妻ヘルス 社長(11店舗目)→摘発→閉店

 

その頃、東京◯◯・グループとして、デリバリーヘルスを立ち上げる。そこに、受付を設けた案内所を作り5店舗を営業する(12店舗)→他グループに売却。
営業しなくなったソープランド後を新たに店舗型ヘルスとして、立ち上げ (13店舗目)、中○・○谷の3店舗をあわせた東京統括となる。

 

福岡転勤(14店舗目)
そして、2011年11月 退職
現在に至る。

 

とまあ、こんな経緯です。小さい頃からの引っ越し回数を数えてみたのですが、何と!今の住まいで38回目を数えました。

 

以上が一条の経歴紹介です。

これだけの経験を積むと、他の人は経験したことが無いような裏話も数々ありますが・・・それは、またどこかの機会に。


よろしければ、こちらもどうぞ。

 


それでは・・・今日も元気に
いってらっしゃい。